鈴木さんは「女は貧乏ゆすりしないよ」と言っておばあさんらしくない強さであたしのあしを握った。タバコを一服吸って「男性の生活をやめたけど貧乏ゆすりとたばこをやめれないのよ」と返事した。鈴木さんが十回目の「男の生活をやめたらなんで女が好きなの?」と聞いた。
もう十回説明したけど、鈴木さんは昭和人間であまりわかることができなかった。「心は複雑だよ。性別とジェンダーは1つか2つの部分で恋愛は他の部分だよ。中身、あたしの心は簡単に普通のレズビアンで体は男性っていうことだよ」とちゃんと説明したが、鈴木さんからわかることを期待しなかった。期待しなくても大丈夫だった。鈴木さんが頑張っていてあたしのことを愛しているから大丈夫と思った。あたしの本当のおばあさんになったから。
「んんんわかんないなぁー」と呟く間に加藤さんがドアを開けて「ただいま!」と言った。普通に、鈴木さんは加藤さんと話がたがるけど、今回は違った。「なんでそんなに複雑なの?」と聞いた。ちょっと考えて「まあぁ、簡単に言うと、人生も複雑じゃないんでしょ」と返事した。「複雑かなぁー、それ以外何が複雑?」と返事された。
「不良だったから全部は複雑だったよ」と冗談した。鈴木さんはまあまああたしの歴史がわかったけど得の内容は聞いたことがなかった。日本に来たときに大事なことが決めた。いつもいつも本当のことを言う。「これから嘘をつかないぞ。本当のことを全部言うぞ」と決めた。だから、鈴木さんアが「なんで不良だったの」と聞くと「躁鬱病という病気を持っているから」と返事した。病気を説明して鈴木さんがマスターに声をかけた。「躁鬱病って知っている?」と聞いた。二回目に説明して「怖いよね」と言えたけどびっくりしてあまり何も言えなかった。鈴木さんが「まぁ、文句言えよね」と言ってあたしの貧乏ゆすりとたばこについて触れていた。
明日も居酒屋に行った。鈴木さんが木曜日にいかなかったからあたしの普通の話し相手はいなかったから違う客さんと話したかった。伊藤さんというおじさんが居て「バレリィー!俺と会ったことある?」とくだを巻いた。いつも通りにとっても酔っ払ったと思った。マスターとママのちかちゃんという娘と話していたけどちょっと伊藤さんと話していた。でも急にマスターに声をかけられた。「バレリー!伊藤さんのことわかるの?」と旺盛に聞いた。ちょっと酔っ払って「いや、全然知らんよ」と言った。
マスターが「何年前、何年だったかな?5年前だった?いや、30年だったね。30年前伊藤さんは大きい事故があって入院された。何週だったかな?4周だった?いや、半年だった。起きたら半年の記憶がなかった。脳が見えるくらい大変だったよ。でも看護師さんに助かったよ。」と言った。それで伊藤さんがあたしに見て「お風呂に居たら裸だろう」と言った。「助けて」と伝える目でちかさんに見てすぐ「何の話ですか!?」と聞いた。わかるように頑張ったけど15分かかった。マスターは真剣な話の間にエロい冗談を入れた。さすがのマスターだった。
そのエロい冗談がわかることができて話が続いた。マスターが「その半年伊藤さんはずっと三途の川に言った。その川で3つの途があって3つともから声をかけられる。「こっちに来い!」と言われる。伊藤さんはその半年決めれなかった。それで看護師さんの声を聞いて決めたよ」と説明した。「だーかーらー?」と聞いた。マスタの目は面白さを伝える目から優しさを伝える目になった。「昨日の躁鬱病の話だよ。いつもいつも人生を選べなきゃいかんよ」と言った。
一日中考えて知恵をくれたがった。次の半年ずっと居酒屋に居た。送別したくなかたけどアメリカに戻った。一年の間に恋愛はできなくて一人で戻った。
あたしの始めて会ったトランスジェンダーの人はあたしだったからずっとあたしの経験がわかる人を探した。理想はその同じように「変な人」と恋愛することだったけどできなければ知り合いでもなんでもよかった。日本にいるときにたくさんの経験があったけどその経験はなかった。だからそのアメリカにいる半年はずっと頑張っていろいろな経験を作って本当のほしいことを悟る。
ある日にマスターたちについて考えていてあたしのあだ名を覚えた。アメリカの田舎で育ったからマスターに「芋娘」と呼ばれている。いじめそうだけど、そのあだ名が好きだ。たくさんの短歌を書いて、よくその「芋娘」という言葉を使う。完璧な五音だしちょっと自分の心と自分の経験を短歌に入れる。でも、その言葉の一番大事なことは「娘」だ。生まれた体は男性の体だから、よく男性として見られる。だからその「私は女性だよ」と伝う言葉は一番好きな言葉だ。特に自分が使える言葉はよく使う。「あたし」や「してちょうだい」や「かしら」など。それは欲しかった。「あたしは女だ」と思わせる人がほしかった。
そんな関係を味わったことがあったけどほしい関係を100%果たしたことはなかった。「どうやって果たすのかしら」とずっと思った。
ニューヨークにいるときに躁鬱病の薬はなくなってしまった。その薬は体に入ったり出たりするために何週間もかかるから最初の一週間は大丈夫だった。でも八日目に何かが変わった。朝はあたしのセフレと起きて一緒に朝ご飯を食べて公園で朝散歩した。その関係でちょっと自分のほしい関係を味わったけどセフレだったからいつでも終わる可能性があった。その後家に帰ってゴロゴロした。夜になったら変化があった。部屋のドアが開けてあってルームメイトの声を聞こえた。はっきりわからなかったけどあたしについて悪口していると思った。もうすぐ「嫌だ、この部屋にいないほうがいい」と思って家から出た。ボデガ1まで街灯と車の電気で照らしてある道を歩いた。ボデガに着いて飲み物を取った。冷蔵庫の隣りにいるときに店員はヒンディ語を話していた。「クソ。あたしについて話している。100%あたしについて話している。早くサンドイッチを注文してでないと」と思った。注文して待っていた。でも、誰かが何回も店に入ったり出たりした。「クソ。今日で終わりだ。店を出るとその人はあたしを殺す。絶対に」と思った。
普通の人間はそういう気持ちをわからない。その怖さ、そのパラノイア。店小野タバコの選択肢を見なが待った。サンドイッチができてからすぐ店から走った。寮まで走った。すぐ死ぬように部屋に入って鍵をかけた。ゆっくり空気を吸って安心した。安心できてから外へ行った。「タバコの吸わないと」と思って出た。最初の一服は最高の気持ち良かった。吸う間に一つの考えでもなかった。多幸感を気づくとあたしの最近覚えた言葉を言っちゃった。「力㘞希咄」と。この言葉の意味はあまり良く説明できないけど簡単に言うと、「えい!やあ!」と言う驚きを伝う言葉だけどあたしの好きな読みは「悟った」と伝うか掛け声のことだ。もう一回「力㘞希咄」と言ってすぐ車は眼の前で停まった。
1ニューヨークのコンビニのこと。たばこやお酒やお菓子など売る。たまにキッチンがあってサンドイッチなどを売る。